単純で残酷な事実
こんにちは〜。
断酒一年記念で沸いていたアディニャムでしたが、先日なんとなく台所の棚をジッと見ていた時のことです。
突然ね、思い出したんですよね。
「この棚の中にはアディニャムが生まれた年に作られたブランデーが眠っているではないか‼︎」
いやいや。
久しぶりにぐらっと来ましたw
家人の人から誕生日プレゼントでもらったもんです。樽詰めされてから40年以上経っているわけで、美味しいでしょう、そりゃ。時間という金には換算できないものが熟成させたプライスレスな一品です。捨てるべきか⁇ いやいや酒に罪はない。
せめて一舐め、いや一口味見を‼︎ いや、大して残ってないんだし、一晩だけ解禁して飲んでしまえ。飲みきってなくしてしまえばいいのでは…
こらぁ〜‼︎
とアホな考えを頭から振り払いました。
家人が買ってくれた誕生日プレゼントの酒も飲めねぇのか。ビンテージブランデーなのに飲めないんだ。一生。
一生か…
そう思うと凹みました。久しぶりになんか、うん。
酒も悪い部分を上げたらキリがないですが、やはり長く培われた文化があり、そこには情熱と知恵と愛好者があり、酒を嗜みながら幸せに暮らしている人もたくさんいるわけでしてね。
酒を憎むと断酒が楽だからという理由で酒を憎むこともしたくないし、物事に対する公正さも失いたくはない。そもそも憎しみの結果タバコを吸い始め酒を大量に飲みようになったわけですからね。また新たな憎しみに囚われるのもイヤだし。
なんて思ってましたが、この時ばかりは酒が大嫌いだったらどんなに楽だったろうかと思いました。「酒を嫌いになるぞ‼︎」という作戦もなかなか有用なんですねw
とはいえ一日経ったら、
「年代物のブランデーが死ぬまで飲めないって⁇ 残念‼︎」
と笑えるようになりましたけどね〜。
しかし恐ろしいもんですね〜。わずかに一瞬ですけど今までの一年の苦労と、たった一杯のブランデーを秤にかけていたんですからね。
確かにね、一口飲んでも大丈夫かも知れない。残り少ないブランデーを飲み干してもまたすぐに断酒に戻れるかもしれない。でも再び以前の酒量と飲み方に戻るリスクを冒す価値があるのか?
あるわけがない。
アディニャムは酒を飲んではいけないのです。
これが単純で残酷な事実です。
以上も以下もない。酒が毒だろうと命の水だろうと関係ないのです。理不尽だと思えるかもしれないけど、どうしょうもない事って世の中にはありますからね。それを受け入れてどう折り合いをつけるて生きていくかというのも、長く短い人生の中では必要な事でしょう。
それにね、正直たかだか酒でよかったと思うんですよね。
小麦アレルギーなんかになったら、ラーメン、パスタ、ウドン、お好み焼き、下手したら蕎麦もツナギに小麦粉入ってるし、ケーキもクッキーも、その辺全滅ですからねw
酒が飲めないなんて小麦に比べたら…というかもっと辛くて理不尽な事実に一生付き合わなきゃならない人はいくらでもいます。
今はまだ単純で残酷な事実と感じる時もあるかもしれませんが、やがてそれが単純な事実になる事でしょう〜♪
というわけでね。次は目指せ二年ですね。更新頻度も減っていくかと思いますが、最低でも断酒三年まではブログを続けるつもりなので、これからもよろしくお願いいたします〜‼︎
最後にですが、前回記事でたくさんの星やありがとうございました‼︎
コメントへの返事は前回記事のコメント欄で行っているのでお手数でなければご確認下さい‼︎
それでは皆様、よい週末をお過ごし下さい!