ユルユルいきましょう

ユルユルと断酒してます♪

旅先で飲めないのは寂しいと思った時には

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こんにちは〜。

なんとか忙しく暮らしております。

最近は出張がちょいちょいありましてね。今月は一週間くらいとある地方都市に滞在しているわけなんです。

そもそも旅行好きですから。昔は出張ならば地元の肴に美味い酒は旅の大きな楽しみでした。旅先でも毎晩泥酔するまで飲んで次の日の行動に支障をきたしていたし、昼から飲んだらもうホテルで飲みっぱなしですからね。旅と言うよりビジネスホテルの一室で飲むためにわざわざ旅費を払った、みたいな感じでしたw

酒を止めた時になにが哀しかったかって「旅行しても、もう酒が飲めないのか!」ということでした。

(書いてて今思い出しました。そういえばそうだったなってw)

たとえばイタリアに旅行してパスタを食べながらワインが飲めない。これはもう悲劇としかいいようがない、なんて思ってました。確かに悲劇っちゃあ悲劇ですけどね。でも心が真っ暗になるほど落ち込むほどのことじゃあない。最近思うんですけど、つまるところ、そういうのが「依存」なんでしょうね。酒がないと旅を楽しめない。あるいは、酒がないと日常生活が立ちゆかない。頼らないと生きていけないから「依存」なわけです。

そんな酒やタバコを止めて痛感したのは「楽しさは、外部からの刺激の量ではなく、受け手の感受性の問題だ」ということです。

美味しいものも、旅も、それだけで充分楽しい一大イベントですから。それを感じ取れる心さえあれば、別に酒なんてなくても楽しめるんですな。

昔一緒に旅行をしていた方が「この町の石垣の組み方って面白いなあ」と呟いたのを覚えてます。この人の目を通じて世界を見たら、旅行は自分の何倍も新鮮で驚きに満ちているんだろうなあ〜って思いました。

あるいは、家人の人の母親 (アディニャムの義理の母、かなり天然)は二十年以上前に嫁いできた町の観光名所を見るたびに、未だに感動しているそうですw ま、そういうことですよね〜。

楽しさは、受け手の問題なのです。

酒以外に楽しい事はいくらでもある。自分がそれに気がついていないだけなのだ。そう思うと世界は急に探検しがいのある場所に見えてきたりします。

自分も家人の人の母親…とまではいかないにせよ、知らない町を散歩するだけで、三十回くらいは感動出来る人間になりたいと思ってます♪

つーわけで桜も咲き始め、春まで後一歩!

皆様、素敵な一日をお過ごし下さい!!

 

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